市民の党

ここ数年、学生運動新左翼について調べている。
社会主義共産主義に興味があるわけではなく、日本の政治に対して最悪の影響を残した一大事変と言うか集団ヒステリーと言うか悪ふざけと言うか迷う現象がどのような物であったのか、に興味があるだけ。

そんな中で、現在も活動しており地方議員を有している新左翼の残滓が意外に残っていることが分かってきた。表題の市民の党もそのひとつである。
おそらく一部の人たちにはこの名前で分かるだろうが、この党が有名になったのは2002年5月29日横浜市議会で、議場に国旗を掲揚することに反対して暴れて議場から退去処分を受け、翌6月5日には議長席と事務局長席を占拠するという実力行動に出た件からだろう。
 この党、旧名を「MPD・平和と民主運動」と言い、さらにその流れを遡っていくとトンデモな経歴を持っている。

まずは「共産主義者同盟(ブント)」のノンセクト過激派グループ分派の立志社として成立し、三里塚闘争に参加し、ポルポト派支援だの北方領土返還運動だのと、ブントの「現在の共産・社会主義を否定し、新しい暴力的革命を肯定する」方針に従った活動をする。
 さらに1983年に田英夫横路孝弘八代英太を呼びかけ人として「MPD・平和と民主運動」に改名・改組する。この呼びかけ人3人の共通点は「一貫しない政治姿勢」だろう。詳細はそれぞれWikiでも参照して下さい。
呼びかけ人の影響力が現在も続いているのかは不明(少なくとも田氏とは決別?)だが、この党はさらに改名と改組と離散集合とを繰り返して現在に至る。代表は少なくとも2003年では斉藤まさし。ノンセクト過激派グループの一員だった人間なので、新左翼の直系の党のままである。

国旗引き下ろし事件が端的に表しているように、「市民」とは全く無関係の「日本大嫌い」な党と言える。
社会党社民党と主義主張が一致する部分があるためか人員の入れ替えが見られるが、選挙となると一般・党内の別なく激しく活動するため、社民党と争うこともある。
地方議会では社民・共産と共に意見書を提出することがあるが、ざっと調べた限りでは皆否決されている。

一部ではこの党の最大にして唯一の活動は「選挙」と言われている。
つまり国旗引き下ろし事件は「市民の党が珍しく選挙以外で活動して目立った」事件と言える。