鯨肉食は日本の沿岸部だけ?

とある裁判官の過去の裁判記録を調べていたら、とあるブログに辿り着きました。
なんだかありとあらゆる物に反対している上に罵倒(と言っても、使われている言葉のほとんどが「バカ」という低質さ…)ばかりなので早々に退散しようと思ったら、シーシェパードの行動を正当化するような文章にぶつかった。
するかのような、というのは文章が稚拙すぎてブログ主がどちらの意見なのかわかりにくかったため。読み進めていくと「調査捕鯨なんかやっているからこんな目に遭う」とされていたので反対派と確認。
さらに「日本での鯨肉食文化は沿岸だけに限られていて、人口のほとんどを占める農耕を主とする人々は食べていなかったのだからこれを日本の伝統文化と呼ぶなどおかしい」という趣旨の文章が。

山梨県の魚屋でイルカの肉が売られているのを目撃した身としてはさすがにこの主張には苦笑するしかなかった。ちなみにイルカは冬の季語なのだとか。

確かに常食とする程食べていたのは沿岸部、特に捕鯨を行っていた地域に限られるが、古事記には神武天皇に鯨肉が献上されたという記述がある。
神武天皇が実在した「個人」であるとは考えていないが、当時の天皇に献上されたということはほぼ間違いないだろう。古事記編纂事業の目的からすれば、こんなことを捏造しても意味がない。
当時の天皇の在所は奈良県。海はありません。
室町時代の文献にも「魚の最上品は鯨」とあるそうで、室町というのは京都の南部。当時の人は鯨を魚の一種としていたのですが、これがいつ頃から哺乳類と認識されるようになったのかもおもしろそうなテーマですね。
北海道には鯨食を含むアイヌ文化があったのですが、開拓時代に盛んに食べられるようになったのは東北地方の農民が移り住んだ名残と言われています。
内陸ではハレの日の食材としての意味が大きいようです。ハレの日の食文化は軽視できない価値を持っているので、伝統文化としての価値も高い。
したがって先のブログの主張は各地の食文化から歴史から事実から見ても全くの間違い

で、以下はこのブログを見たおかげでつらつらと思ったこと。

内陸への総流通量は相当乏しかったであろうことは、江戸時代に初鰹を食べるために数百両を投じたという歌舞伎役者がいたことからも想像に難くない。ただし、加工品(干し物、塩蔵等)の流通は日本では古くから行われており、山梨で煮アワビが特産品となっているのもこのような流通過程の産物。
しかし、流通状態は江戸時代でもどんどん改善されて、イワシなども鮮魚での輸送が記録されている。
鯨肉は冷凍技術が未熟な時代は塩蔵での流通が多かったようです。天保年間に発行された絵物語「勇魚取絵詞」の付録にも塩蔵肉の調理法が記載されているとのこと。農村で塩蔵を前提とした鯨肉食文化があったり、福岡県筑豊の炭坑地区で塩蔵鯨を「汐鯨」として食していたりしたのはその名残なのでしょう。
塩蔵鯨肉が調査船の乗組員等に大量に「おみやげ」と称して持ち去られていたことを思うと複雑な気持ちですが…。

肉のことばかり書いて内臓その他はどうだったのか。実は鯨肉食と言う場合、内臓についてはあまり区別していないのです。舌や腸、軟骨を食べることも鯨肉食の一部。
このあたりが普通の肉食と違うところですが、これもおそらく昔は鯨は魚の一種とされていたあたりに理由がありそうです。魚食文化の中には内臓その他を食べるのも含まれていますから。フカヒレ、浮き袋の料理、煮物での眼球、カツオやマグロの心臓、サンマや鮎の内臓利用etc..
昔は内臓を食べるのは普通の肉部分に比べるとさらに沿岸部に限定されていただろうとは思われますが、こちらは未調査。

ハクジラ(ツチクジラなど)の場合、重金属などが生物濃縮されているのであまり食べない方が良いとされているのですが、ヒゲクジラ類(ミンク、ナガス鯨など)は生物濃縮がほとんど無いので鯨肉一般が水銀とかPCBに汚染されているわけではありません。同じヒゲクジラ類でもイワシクジラは魚も食べるので汚染されている可能性はある。
IWCが「日本の沿岸での捕鯨だけにするなら文句言わないよ」といった提案をしているが、日本沿岸で獲れる鯨はハクジラが多い。数年前から「鯨が増えすぎて日本近海の魚が減っている」と言われているが、ハクジラは魚を食べる。ヒゲクジラはほとんどがプランクトンを食べる。
海水の汚染度も南氷洋と日本周辺では全く違う。IWCの提案を悪意に解釈すると「そんなに鯨を食べたければ重金属と一緒に食べなサーイ、HAHAHA!」となる。そんな意図の有無に関係なく、日本沿岸に限定すると結果的に同じなので鯨肉食文化は継続不可能になるだろう。

ところが世の中皮肉な物で、日本の文化の一翼である海水魚食文化が世界に拡がった結果、その需要に応えるために養殖が盛んになり、その餌としてヒゲクジラの餌であるオキアミが乱獲されていると言う。http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20090221-OYT1T00720.htm
日本もこれに荷担しているので、鯨を含む南氷洋の生態系維持の責任がある。オキアミの乱獲制限をし、オキアミが減って多様な生物の餌が少なくなった分、オキアミを食いまくる種(つまり鯨)の生息数制限に取り組むという責任の取り方もあるが、この方法が認められないことは確実。
現状でもオキアミがこのペースで乱獲されていけば鯨も他の種も減る。
海洋生物資源は非常に危険な状態にあると言って良いだろう。日本の伝統文化は当然大事だが、人間が生きていく上では海洋生物資源は今後より重要な物となっていくと予想できる。
バランスが取れた利用を考えなければ、伝統文化どころかそれを伝えていく人間の維持すら難しくなるだろう。

鯨、美味しいんだけどね。だからなおさら悩ましい。