匂い(香り)マツタケ味シメジ、はて?

産地偽装関係のニュースを見ているうちに、ふと思考はマツタケへ。北朝鮮から?の輸入マツタケに鉄の棒が入っていて、産地じゃなくて重量偽装したことがあったとか、経済制裁で輸入が止まってる(?)とかの連想。
マツタケに関する記録は古くから残っていて、どうやら和名抄になく拾遺和歌集、新猿楽記からは記載があるようで、それらから類推すると室町奈良時代には天皇や貴族に贈呈されるものとなっており、平安にはそれは確実となり、鎌倉以降は武士が採集、江戸時代には庶民が手軽に食する物となり、戦後しばらくすると生産が減少し、現在は貴重となったことになる。万葉集には「高松のこの峯も狭に笠立てて盈ち盛りたる秋の香のよさ」とあり、これがマツタケのことと言われている。
マツタケの生育環境は日本の場合一般には人間の手が入らないと安定しないので、森林資源の利用の変遷を調べたりとか昔の戦争での森林資源管理に関する本(『軍需物資から見た戦国合戦』)を読み返したりとかしていた。日本ってのは不気味なほど記録が大好きな国なので、その辺りは研究者が調査していると思われる。
マツタケの生育に適した環境は「人間が手を入れて管理する里山」で、極相林と呼ばれる「日本で自然のまま放っておくと最終的に到達する植相」ではない。マツタケの一般的な共生種であるアカマツは日の当たる土地にいち早く生え、その後にヒノキやブナなどが生育するに伴って勢力を落とすことになる。
つまりアカマツを肥料や燃料として継続的に利用した結果生じた偶発的なアカマツ林、あるいは伐採以降に植林が行われずアカマツはえた土地を維持したアカマツ林、さらには積極的にアカマツの移植を行って作られたアカマツ林があって、豊かな生産が行われる。人間の介在無しだと天皇や貴族に贈呈する価値があるほど稀少なキノコなのだ。
京都が一大産地となっているのも、単に気候だけの問題ではなくアカマツの積極的な移植・維持が行われ、古くから特定の土地を人間が維持してきた歴史も関係しているのだろう。
その辺りを調べていて、ふと疑問に思ったのが「匂い松茸味占地」という言葉。出典は何、と。
ネットで調べたり広辞苑やら調べたりしたが、判然としない。見つかるのは「俗に」「昔から言われる」「〜と謳われる」といったものばかりで出典を明記したものはなかった。
匂い・香りが日本人にとって格別であるのは先にあげた万葉集の歌からも読み取れるので「匂いはマツタケ」という意識はその頃からあったと思われる。問題はシメジとの対比が成立したのはいつ頃か、そしてその出典は何か、ということだ。
全く根拠はないのだが、江戸時代、それも結構中期から後期なのではないかと考えている。「味はシメジの方が上だけど、オイラたちは香りで食うんでぃ!」ってな江戸っ子の見栄っ張りが感じ取れるからだ。これが上方の文化だと「マツタケは香りを楽しむ物であって、食味を楽しむシメジと並べるのは無粋でおじゃる」となる気が…する。
中期から後期、というのも文化絢爛、川柳集やらの文学が庶民一般に浸透するのはその辺りからだ。ただし、江戸初期でも京都の竜安寺山のものが極上とされていたのでその頃には既に成立していた可能性もある。
一般に膾炙するほど言葉が定着するってのは思ったより新しい場合が多く、「日本では昔から〜と言われる」というのがせいぜい昭和初期のものだったりするのも珍しくない。明治大正の成立もかなり多いことを考えると江戸以降である可能性もあるが、その時期だと出典が判然としないのは釈然としない。
この言葉が登場する古い文献をご存知の方は御一報いただけるとありがたい。

追。
上でマツタケアカマツの「共生種」と書いたが、植物の根とそこに付着している菌類とはたいていの場合共生関係にあるそうで、単純な寄生関係にある菌は少ないのだそうな。

追追。
奈良時代を間違えて室町なんて書いてしまいました。orz