ゾンビ

最近というか近年、「ゾンビ」とタイトルに付いた映画が大増殖しています。古くは『ゾンビ自衛隊』(怪作)、最近では『ゾンビストリッパー』『ギリシャゾンビ』『ヘルゾンビ』『●REC』『ショーンオブザデッド』etc..
大半に共通しているのは所謂映画で言うところの「ロメロゾンビ」が出ていないことです。
ロメロゾンビ:

  • 噛まれたらほぼ確実にゾンビ化する(例外?の神父が存在)。
  • 噛まれていなくても死体はゾンビ化する。
  • ウイルスやナノマシンなど原因は特定されていない。
  • 人間以外はゾンビ化しない。
  • 人間以外の生物は襲わない。
  • 生前の行動様式に従うが、次第に変容していく。教育可能。
  • 頭部(脳)を破壊されると活動を停止する。
  • 腐らない。
  • 生肉や生の内臓を食べる。冷凍物も可。
  • 正式には「リビングデッド」と呼称する。
大体こんな定義でしょうか。走らない、というのも特徴とする場合がありますが、最近のゾンビは走る傾向が高いです。
重要なのは「原因不明」という点。これで『バイオハザード』のそれは区別されます(日本でのTV放送版では惑星の崩壊に伴う宇宙線という設定が付加された物有り)。したがって「感染」「伝染」という表現は実際には正しくないのです。
『ゾンビ(原題 Dawn of the Livingdead)』(別名『旧丼』)のリメイク作『ドーン・オブ・ザ・リビングデッド』(別名『新丼』)のDVDコメンタリー解説でも、女性スタッフが「原因不明であることの必要性」を訴えて認められたというエピソードが語られています。指先一つ囓られても確実に死んでゾンビ化する。これは一種の「呪い」なのです。

ところが、最近では原因がウイルスなどと特定されている作品が目立ちます。もともとゾンビ界の巨匠ロメロ監督が「ゾンビ」という呼称を使っていなかった上、本来の「ゾンビ」とは特徴が違うのですから混乱するのは仕方がありません。
最大の混乱要因は『バイオハザード』シリーズだと確信していますが。
実はこの『バイオハザード(ゲーム発売1996)』と良く似た映画が存在します。『バイオ・インフェルノ(1986)』というもので、簡単に言えば「アンブレラ社の防疫システムが完璧で舞台がほぼ研究室内に限定されて銃撃戦もない『バイオハザード』」です。こちらでも凶暴化する原因は特定されていますが、頭部を撃たれると活動停止という設定がないためか「ゾンビ」映画としては捉えられていません(それ以前に知名度がない)。
頭部を撃たないと活動を停止しない、というのが広義の「ゾンビ」の重要な条件のようです。『28日後…』がゾンビ映画として語られないのはおそらくこれが理由でしょう。

で、『バイオハザード』が「ゾンビ」社会に混乱をもたらしたのは別に良いと思うのです。問題は『バイオハザード』によって解釈の拡大が可能になった映画界の体質。
原題のどこにも「ゾンビ」も「リビングデッド」もない『ヘルゾンビ』は明らかにタイトルのせいで損をしています。『リーピング』がCMで大損したように。
ちょっとアマゾンで[ゾンビ]で検索すればわかると思いますが、物凄い数が出ています。しかし、タイトルに「ゾンビ」を付けた場合、比較されるのは『ゾンビ』か『バイオハザード』か『ドーン・オブ・ザ・リビングデッド』。敷居が高すぎです。
ゾンビ界には異常な人が多く、「ゾンビが出ている映画は欠かさず観る」というポリシーを持っている人間がたくさんいます。ここにもいます。
その意味ではマーケティングとしては「ゾンビ」と付けるのは正解なのでしょう。しかし、そろそろゾンビ界の人間は苛ついているようです。アマゾンのレビューを読むと、結構危険水域。安易な邦題をつけるのは配給会社の命運に関わる可能性もあります。

とはいえ配給会社、買った全てのパンフレットの内容が、それらの映画の内容と「全てどこかが違っていた」実体験を持つ身としては「映画不況にでもならないと自分たちのやっていることを顧みないだろうな」と思っています。

いつまでも映画館やDVDで視聴する(つまり配給権を買って国内向けにする形態の販売方式)スタイルが続くなどと考えいるようなら、それは危険ですよ。
海外の映画作成スタイルが日本のように「○×制作委員会」方式主流になったら、そこから直接ネットで配信することはかなり簡単になりますから。