ブログ炎上

ブログを炎上させたとして18人が逮捕された。とマスコミでは報道している。
逮捕の理由は「名誉毀損」であって、「ブログ炎上罪」ではないというのに。また、同時に「炎上」の定義をブログに誹謗中傷を書くことなどとしている。これは大きな間違いだ。
もっと酷い間違いになると、炎上した「ブログを閲覧していた18人を逮捕」などとしているメディアもある。…炎上ブログを閲覧していただけで逮捕されたらたまった物ではない。
そもそも炎上の定義は一般には祭りとほぼ同義で、そこに怒りや憤りがあることが最大の違いだろう。
たとえば故飯島愛の自殺当日のブログは追悼文の書き込みで溢れていた。書き込み数は私が確認した時点で3600件を超えていた。一般に炎上するブログでもここまでの書き込みが一気にされることはそう無いだろう。
これは炎上とも祭りとも違う現象である。しかし、炎上と言う場合には単に怒りや憤り(もちろん誹謗中傷も)の書き込みがなされるだけではなく、書き込み数が爆発的に多くなることも一つの条件であるので取り上げた。
他にも政治家の発言によってその掲示板に大量の抗議が書き込まれたりすることも炎上と呼ぶ。たとえば民主党円より子掲示板はある発言が元で炎上し、一時閉鎖された。
炎上とは規模が少し違うが、ボヤ程度の物は直接目撃したことがある。地元の衆院選民主党候補のHPにあったBBSに、とある書き込みがなされたのがおそらくきっかけである。
当時民主党憲法改正案中間報告を発表しており、その内容に「国家の主権を委譲する」というものがあった。これが書かれたのである。それから一気にここの掲示板は書き込み数が急増した。
その結果、トップページからBBSへのリンクが外されてしまった。
ところが、BBSそのものは動作し続けていたので直接リンクすることで閲覧も書き込みも可能になっていたのである。その事実が他の掲示板に書き込まれ、一時停滞した書き込みはまた増加。しかし、この場合は最終的にそのまま放置されたことでボヤが自然鎮火した。
というのも、その衆院選民主党は歴史的な敗北を喫したからである。まあ歴史的な敗北という点で言えば社民党の方が素晴らしい敗北をしたのだが(比例代表で1人のみ当選。しかもそれは、自民党が用意した比例代表名簿の全てが当選したために人数が足りなくなってしまったために別の党が繰り上げ当選になっただけで、実質的には0人当選)。

要するに、炎上とは誹謗中傷が大量に書き込まれる現象に限った物ではない。それが正当な抗議であったり回答の要求であったりしても、短期的にそのブログやBBSの管理者への攻撃的な書き込みが大量に集中することを言うのだ。

悪名高い2ちゃんねるでは不思議な程に炎上が起きないが、これは炎上スレを祭り会場にしてしまう文化のせいだろう。また、ソース主義が徹底されているために議論の核心がブレず、議論の判断もまたソース主義によって担保されるために感情的なものや事実無根のものは排除されるという健全な部分があることにも理由があるのだろう。
2ちゃんねるの炎上(この場合はスレ主ではなくスレで取り上げられた企業が対象)で記憶に残っているのはギコ猫騒動だが、これもソースは商標登録データペースだったと記憶している(正式な名称は忘れた)。
この時はほんの数時間で万〜数万の書き込みがなされたと記憶している。

今回のブログ炎上逮捕事件で記憶に留めなければならないのは、名誉毀損の書き込みは通報される(私も何度か通報している)。マスコミは炎上といった用語を恣意的にねじ曲げる、ということだろう。

テロップと実際の発言が違っているといった細かい部分から、コメンテーターの表情にいたるまでマスコミの恣意的な真実のねじ曲げは珍しくない。感覚的にそれが多いのはTBSとテレビ朝日(←これも誹謗中傷)。
TBSで放送された東大安田講堂事件の特番では、ナレーションが講堂に籠城した学生側の視点に立ったものになっていたところが実に気になった。たとえば「バリケードは突破された」は「バリケードを突破した」で良いはずであり、犯罪者側の目線で「バリケードは突破された」と言う必要はない。こういった表現は「実録・キンキロウ」などの犯罪者視点を明確にしている物なら当たり前だ。
つまり、あの番組は犯罪者(籠城者)視点で作られた物と言える。犯罪者にそれほどまで精神を仮託できるのは異常である(犯罪実録物の映画をよくレンタルする身としては異常であることを認識することは必要だと感じる)。
犯罪者の視点に立って報道する、印象操作することは韓国の狂牛病デモの時に韓国でも問題になった。韓国の現在がある程度正常である証左であろう。未来がどうなるかは実に疑問ではある。
土地収用時に死傷者が出たことを、狂牛病デモのような正当性のない社会への抵抗を容認してきたツケだ、と看破した韓国の司法もまた正常に機能し始めていることを示している。
マスコミが信用ならないのは日本も韓国も変わらない。なにがしかの権力を持った人間は腐敗する可能性を常に秘めている。
今回ネットに書き込んだ連中も匿名性(という幻想)という権力によって腐敗したのだろう。しかし、これを報道するマスコミは常に腐敗に対して警戒しなければならないはずだが、それをしていない。それどころか別の権力の腐敗を糧として真実をねじ曲げることを繰り返している。
これを新左翼のグループの分裂、共闘の歴史と重ね合わせると実に似ていることがわかる。
某TV雑誌でさだまさし氏は日本国民を何度か暗愚と書いているが、こんなマスコミに囲まれていては自ら真実を調べない限り暗愚となるのも当然だろう。

でも、さだ氏には一言言いたい。美しい自然がある国、中国などという幻想を持って映画を作り、結果的に30億もの赤字を出すような幻想に浸った人間こそが最も暗愚であると。