敗戦の日に

様々な動きがある。一つは「先の大戦の記憶を風化させてはならない」というものだ。しかし、そこには幾つかの見方があり、記憶がある。
たとえば満州にいた日本人と日本人軍属、南方にいた人々、海戦に従事した人々、陸戦に従事した人々、日本国内で生活していた人々、疎開した人々、疎開命令を無視して戦地に留まった人々、etc..
これら全ての記憶は様々に異なり、時には矛盾し、時には全くの嘘だったりする。
記憶しなければならないのは「悲惨な記憶」だと主張する人々もいるが、戦争が常に悲惨であるわけではない。凄惨であることはまず間違いなくほとんどの戦争に共通するが、悲惨であることは戦争の絶対条件ではない。
ソ連フィンランドの2回の戦争。凄惨ではあったが、フィンランド人とその軍人に多大なる誇りと独立自立の精神を残した。同様にリガに於ける戦いはラトビアの独立に寄与した歴史だ。
第二次大戦勃発時に現代的な独立国として存在していたのは東アジアと東南アジアでは日本とタイしか存在していなかった。
戦後のインドネシアとオランダの戦争も、もちろん戦争にならないことが人道上は理想ではあるだろうが、現在もインドネシアが独立国としての自負を持ち続けているのは戦争に勝利して「自分たちの手で作り上げた国家」という歴史があるからだろう。
インドもそうだ。彼らは非暴力という(チャンドラ・ボースはまた別として)形式を取ったが、それで戦闘や被害者が無かったわけではない。無抵抗を貫きはしたが、悲惨であり凄惨な抵抗だった点では戦争が実際にあったのと同義と言える。ベトナムも大戦後にフランスと戦争を行った。

一方、日本は敗戦から独立国としての地位を取り戻すまでに7年の時間を費やした。その間に為されたのは旧日本の解体と連合国の思惑に沿った政治・世論形成と、それに対する日本側の反対・交渉という銃火を伴わない外交だった。それらの多くは語られることも少なく、第二次大戦後の日本においてはこの時期が最も重要であるにも関わらず、光が当てられることもない。
また、日本が戦争に突入せざるを得なかったことや、それにまつわる様々な事柄も軽視されている。
たとえばABCD包囲網で日本への輸出が停止された品目の中に「屑鉄」がある意味を現代のどれだけの人間が理解できているだろうか? 鉄鉱石ではなく、屑鉄である意味を。日本は明治に入ると国を挙げて製鉄の近代化を図った。コークスも高炉も作り上げていたし、それどころか最新の技術を導入してさえいた。さらに言えば石炭も鉄鉱石もある程度は自給できる状態にあった。そこでの「屑鉄」の価値はほとんど語られない。
ついでなので私も今は語らないことにする。

さて、日本は銃火を伴わない外交を繰り広げたあげく、サンフランシスコ講和条約によってようやく独立した主権国家として世界に再登場する。
その間に朝鮮戦争が勃発し、それまでは公職追放と言えば戦中の主戦派が対象だったのが、共産主義者に対象を移す。東西冷戦の構造が顕在化した影響である。主戦派や戦犯とされた者を公職から追放するように命じられたのが1946年1月4日、共産主義者(中央委員)の追放が命じられたのは1950年6月6日。わずか4年と半年で、アメリカが突きつけた民主主義は大きく転換している。
日本は戦争のできない・しない憲法九条を持っていたのだが、朝鮮戦争によって軍事力を半島に移さざるを得なくなったGHQの命令で、自衛隊の前身である警察予備隊の創設と、海上保安庁の増員が行われた。ちなみに、日本国憲法の施行から3年と1ヶ月後のことである。振り回された記憶も必要だろう。

第二次世界大戦の悲惨さや凄惨さの記憶などというものは、極論すれば世界のどこかで戦争がある限り、いちいち保存しておく価値などない。もちろん、家族や親族の経験は大事にしたいし、語り継いでいきたいとは思う。それは家族の物語だからだ。
だが、たとえば南方戦線での惨劇を主張してどうなるのだろう。満州からの引き揚げの苦労を主張してどうなるのだろう(ちなみに私の母は満州引き揚げ組である)。
南方戦線が悲惨な状況に陥ったのは兵站の問題であり、制海権と制空権が奪われたことに起因するものだ。ならば、考えることは二つある。一つは「戦争をしない」こと。
もう一つは「次に戦争が起きたならば制海権と制空権を死守し、補給ラインを確実なものにする」というものだ。満州からの引き揚げについても、広島や長崎や東京その他の空襲についても同じ事である。考える選択肢は「戦争をしない」だけではない。

戦争は、憲法第九条が存在するから発生しないわけではない。北朝鮮のように一方的に攻撃を仕掛けてくる可能性がある国もあるし、単に海洋調査のために特定海域に接近しようとしたら戦争にまで拡大させても国論が納得する韓国もある。中国の問題もあるが、中国はまだ理性的である。
韓国が日本を攻撃してくるというのは、大韓民国建国からほとんど常に警戒すべき問題である。
朝鮮戦争勃発の原因の一つは、米軍の不撤退防衛線(アチソン・ライン)から韓国が除外されたことにある。同月、米韓は軍事協定を結んでいるが、これは韓国が軍事力を持つことによって日本に侵攻したり、北朝鮮に侵攻したりすることを抑止する目的だった。この考え方は、李氏朝鮮時代に朝鮮王家がクーデターを恐れて自国軍を強化しなかったことと酷似している。日本への侵略は、この時李承晩が主張したものであり、後に李承晩ラインという形でも披瀝されている。
また、現在韓国軍は敵国が現実には北朝鮮であるにもかかわらず、海軍力の増強と対地攻撃可能な戦闘攻撃機の導入を進めているが、これは陸戦主体となる北朝鮮との戦闘ではなく対日本戦向けであると分析されている。
韓国が現在まで日本に攻めてこなかったのは、単に有事統帥権が韓国には存在せず、アメリカが握っていたからと見ても良いのかもしれない。

戦争の悲惨さを説くのは簡単である。不治の病や業病の悲惨さを説くのが簡単なのと同じだからだ。誰もが自らの身に起きることを忌避するだろう。
重要なのは戦争になりそうな時に日本という国はどうするべきか、戦争が起きてしまった時にどうするべきかであって、「戦争をしたくない」とだけ考えさせるのは非常に安易で危険な思考停止への道でしかない。
リスクマネジメントという視点で見た場合、8月15日の左巻き新聞は思考停止を国民に強いているだけである。これが、戦前のマスメディアのやり口と全く同じなのは、同じ新聞社だからなのだろうか。