点字

最近、ふとしたことで身近に点字があることに気がついた。もちろん公共施設その他に点字があることはわかっていたし、点字と同じように視覚障害者にとっては大事な点字ブロック(正式には「視覚障害者誘導用ブロック」と言うらしい)の上では立ち止まらないようにする、といったことは注意していたのだが、思わぬ身近な場所にあったために狼狽えてしまった。
家に視覚障害者が来ることはまず無いのだが、万が一来た場合に「そこの点字にこれこれこう書いてあったので…」と言われた場合にどう対処すればよいのだろうかと。
要するに、視覚障害者を装った、消防署の方から来ました的な勧誘といったものへの対処法がないことに気がついたのだ。
視覚障害者は実に危険な世界に存在しているのだそうで、古いデータだが視覚障害者の2/3は駅のホームから線路に転落した経験があるのだそうだ。ソースが天声人語なのでどこまで本当かはわからないが、話半分でも相当な身体的危険の中にいることは確かだろう。
訪問販売や勧誘も問題だが、身の回りにある点字がもしも間違っていたら、それはしかるべき場所に知らせるべきだろう。それは健常者がやらなければならない事でもある。
それに、いつかは自分もなにがしかの障害者になるのは間違いないわけで、こういった行動は後の自分のためにもなる。
昔、PCモニタがブラウン管を使用していた時はその静電気で引きつけられ、接触した瞬間にはじき飛ばされた埃が原因で角膜を傷つけ、視力を損なうといった話も聞いた。
液晶ではそんなことはないだろうが、今までの蓄積が年を取った時に噴出することもあるし、覚えておいて損はない。人間が外界を認識する場合の大半は視覚に依存しているのだから。
視覚とは別に聴覚障害となると、世間的な対応はそれほど難しくない。突発的な危険を知らせる時には困るが、日常生活では文字さえ書ければ意思の疎通はできるし、危険の察知もある程度はできるからだ。電気で走っている車は走行音を人工的に付けるというニュースもあったが、これは聴覚障害者の方々にとっては何の福音にもならない。車の進行方向にレーザーを飛ばせとは言わないが(実はこれがもしかしたら一番現実的な対策かもしれないが)、何か健常者視点だけのニュースだなぁと思ったものだ。

話を点字に戻す。日本では点字は6つの点から構成されている。濁音、半濁音、拗音、撥音、アルファベット、数字以外のひらがなはこれで表現できる。一般に50音といわれる「あいうえお」は6ビットでカバーできるようだ。
これが英語となると、8つの点から構成されることになる。キーボードで入力できる半角英数記号が8ビットなのだから、当然といえば当然だ。英語以外で使われる文字の場合は何らかの方法で表現するのだろう。

日本の点字そのものは構成は簡単にできている。50音は6ビットで表し、それ以外の濁点や数字はその前に「この次の文字は濁点を付けますよ」とか「ここからは数字ですよ」という記号を置くことで示す。
実際にはもう少しルールがあるのだが、詳しく知りたい人はとりあえずWikiでも覗いていただきたい。それからベクターなどフリーソフトが大量に置いてあるところを覗いていただくことを推奨する。
完成されたソフトがあるのだからそれが商用利用されるのは当然だが、それとは別に点字フリーソフトが少ないことがわかって貰えると思う。
手話を覚える人が某覚醒剤関係で有名になった某女優の功績で増えたらしいが、点字の普及はなかなか厳しいようだ。某メーカーでは無限に潰せるプチプチを開発したようだが、その技術をできれば点字などにも活用して貰いたい。そう願うほど普及していない。
手話もそうだが、点字視覚障害者がきちんと覚えているかというと、実際はそれほどではないそうだ。駅などに行ってキップの販売機に付けられている点字を見てもらえばわかるが、あのサイズの点を文字情報として指先で捉えるのはかなり難しいと思う。麻雀の盲牌の数十倍は難しいだろう。
そんな状態を、我々健常者は強いているのだ。もっとも、点が大きければいいというものではないだろうが。

などとつらつらと反省をしている今日この頃。この状況を野党の平等だの博愛だのといった空疎な言葉に結びつけて批判するのは簡単だが、こういったことは政府がどうのという話ではなく、社会の構成員である我々個人個人の問題なのだろうと思う。
とりあえずは点字を覚えようと思い、そのためのプログラムを書いている。書いている間に覚える可能性もあるわけだが、それはそれで目的を達したのだから良しとするべきだろう。

点字ユニコードにもあるのだそうだが、それを普通に印刷しても視覚障害者には何の役にも立たない。専用のプリンターがあるのだが、それを一般家庭でどうやって導入するかとか、導入してどうするか、といった問題もある。
自動販売機に点字を付ける場合は価格の改定などで多大なコストがかかる。プチプチの件に言及したのはこのためでもある。
私は熱烈な電子ペーパー信奉者なのだが、それは低コストで書き換えができるという無駄の少ない社会を実現するための手段として有効だと考えているからでもある。
願わくば、点字の世界にも同様の変化が起きることを期待したい。
絨毯を、部屋の中で出っ張った柱の形に切り取るための針金を何本も並べた器具があるが、ああいった感じで簡単に点字が作成できる(そこでPCが利用できるとなお良い)、可塑性がありかつ紙に転写できる簡便な器具は多分あるのだろう。そういったものを普及させることも大事なのだろう。
あと、HPを作る場合は音声読み上げ対応にするとか、個人でできることはたくさんあると思う。

個人的には、鼻と舌に老人性の障害を持っていて食事がちっとも楽しみではない祖母の助けになる薬や器具が一番欲しいのだが、身内の辛さや難問を解決したい気持ちは同じなのだと思う。視覚障害の身内を抱えた人々の辛さや歯がゆさはきっと同じだと思う。祖母が好きだった料理、祖母に教わった料理を昔と同じように味わって貰えないのは実に辛いものだ。そんな、祖母の助けができない心苦しさの何万分の一かでも楽になるのなら、点字を覚えるくらい手間とも思わない。
この気持ちを自己満足と思うならそれでもかまわない。そもそも自分でもそう思っているのだから。
だが、自己満足で他人を手助けするのだとしても、それはそれで価値が無いわけではないだろう。