政権としては正しかったが党としては正しくなかった

民主党の閣僚選定が遅々として進まない。予算は棚上げ、閣僚は無為な時間を過ごしている。逆に世界各国からは過剰な期待と反感を受けている。何より、人事が進んでいないことが問題だろう。
民主が政権与党になったことについてはもはや何も言うまい。民主の個々の政策には自民より良いものがあるのは確かだし、愚策と暴論は国民の前に出た時に明白な反感を受けるだろう。

民主が政権与党になった時、社民と国民新党の扱いをどうするかは一つの関心事ではあった。自社さ政権の折、社会党(当時)の村山首相は自衛隊は合憲であると、政権与党としての一貫性を政党の主張より重視した。結局これは言葉だけだったわけだが。
民主も、これまで反対してきた事柄についてもしばらくは「継続」という姿勢で臨むという談話を選挙後に出した。これは当然と言えるだろう。経済も軍事も外交上、世界と協調することが緊急に望まれている中で突然叛意を示したら日本はあまりにも愚かで信用できない国だと見なされてしまう。
日本という国の最大の売りの一つは「信頼」だと私は考えている。国連供出金をきちんと支払い、戦争を放棄して半世紀以上侵略も進出もせず(これは日米安保があるおかげだが)、各国に経済・技術支援を行っている。
この信頼が損なわれたのが先の「湾岸戦争」であり、日本は金だけで血を流さないと一部の国から非難された。だからこそ、日本はそれ以降様々な場所で官民問わず戦地に、危険地域にと人を出すようになった。
現在は給油活動とソマリアの海賊対策が目立っているが、たとえば東ティモール独立時(2002年)にはNGOとして伊勢崎賢治氏が最も危険なインドネシアとの国境県の暫定知事として武装解除に尽力したなどといった事例もある。文民警官や選挙監視で紛争地域に行く人々もいる。彼ら、現代の戦争と直接触れた人々の言葉は重い。
給油活動に関して言えば、海上自衛隊の「世界各国の艦艇との連携能力」は世界一である点を鑑みれば世界からの要求が強いことは当然と言える。
一例を示せば、潜水艦が故障して内部の人間を助けなければならないミッションというものがある。当然、海上自衛隊が所有しているそのための潜行挺(DSRV・潜水艦救難挺)は自衛隊所属の潜水艦向けに作られている。たとえばハッチの径、形状、位置、活動範囲を考慮して選定されている。
2000年から太平洋での多国潜水艦合同救難演習(パシフィック・リーチ演習)が行われているが、規格が違うハッチに見事に接合し、乗員の救出訓練を成功させている。これはまさに世界一の技術を示したものだ。
同様に、給油でもコネクターの規格から給油口の形状・固定方法、給油対象の艦艇の安定性、給油可能速度は世界各国、艦艇によって様々である。
もちろん、日本以外でも多国の艦艇に給油する技術はあるし、あるからこそ日本で撤退論議が巻き起こったのだが、世界の要求は「海上自衛隊による給油体制継続」である。ここにも「信頼」がある。

その信頼を裏切ることを良しとする、と言うか党是としているのが社民であり、恩讐に支配されて物が見えなくなっているのが国民新党といえるだろう。
国民新党についてはそれほど心配はしていない(総務省・郵便関係者など直接関係がある方はかなり心配だろうけど)。問題は社民党である。

新左翼の成立は簡単に言えば、「旧来の社会党共産党から革命闘争の勢力(労働者)ではなく、かつ武装革命を否定されて存在理由も否定された学生・外国人」が寄り集まった物である。
そして自己批判やら理論武装やらをしていった結果、成立してから10年以上経て「自分たちは革命闘争に参加するどころか参加するべき労働者への非抑圧者であり、その加害者である自分たちを否定しなければならない」といった結論へと向かう。
10年以上経てから社会党共産党から言い渡されたことをやっと受け入れ、しかし「自己否定」という理屈で活動を続けるようになった。結果、過激さは上昇し、参加年齢も上昇し、否定範囲を自己から日本へと拡大させるようになった。
自己のみならず、否定を日本へと拡大させたのには戦争時の侵略に対する反省(反省へ至る道には中国・ベトナムカンボジア北朝鮮など左翼が好きな国の誕生も関係する)と、ベトナム戦争での特需景気を日本も自らも享受したという理屈がある。
もはや日本が好きだから嫌いだからといった理屈ではなく、存在意義として不可欠な思想として「日本の否定」があるのだと言える。否定の範囲は日本と言っても戦前・戦争中の時代だったものが、今では現在の日本へと限りなく漸近状態にある。
だからこそ、新左翼の思想を受け継いだ社会党と、民主党社民党系の思想は世界における日本の位置すら考えずに否定する。これが現在の組閣が遅れている最大の要因と言える。
存在意義である思想を曲げて政権連立与党として行動することは、もはや現在の社民党にはできないのだ。

麻生政権が選挙を先延ばしにした理由(言い訳)は、未曾有の経済危機の中で政治的空白を作ってはならないというものだった。
どうだろう。現在、政治的空白は生まれていないと言えるだろうか? 予算も未定、省庁の動向も不安定、閣僚も未決定、財務省金融庁も身動きが取れていない。
これが金融危機真っ直中に起きていたとすると、考えるだけでも恐ろしい。
麻生政権の判断は、その動機がいかなる物であったとしても、金融危機に関しては正しかったと言えるだろう。だが、自民党としては間違っていたのかもしれない。
そしてこれから心配なのは、民主党その他の連立政権が何をするか、である。