暴力装置

http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101118/plc1011182236025-n1.htm


仙谷由人官房長官は18日の参院予算委員会で、自衛隊を「暴力装置」と表現した。直後に撤回し「実力組織」と言い換えた上で「法律上の用語としては不適当だった。自衛隊の皆さんには謝罪する」と陳謝した。
(略)

これについてネットで色々言われているが、いくつか納得いかない物もあった。
●「自衛隊・軍とはそもそも暴力装置なのだから撤回も謝罪もいらない」というもの。
政治用語としてウェーバーの表現を用いることも、発言者が政治家である以上は有りではある。
しかし、「暴力」装置という言葉が現在でも適切な物であるか(ウェーバーは警察も含めて暴力装置と表現した)を考慮しなければならない。なにしろ20世紀初頭に活躍し、第二次大戦より20年も前に死んだ人間の言葉だ。
暴力装置って言葉自体が古すぎるので、軍隊は「実力装置」や「武力装置」もしくは「武力的外交装置」とでもした方がいい。
また、もしもウェーバーの言葉からすれば仙谷官房長官の言葉、「暴力装置でもある自衛隊」は、警察も暴力装置とみなしていることになる。こっちにも謝罪しないと。
●フロント(社会主義同盟)出身者が使う「暴力装置。これはマルクスの言葉で、「国家権力の本質は暴力装置」などとして暴力革命の正当化に使われた。つまり、極左とか左翼が国家に対してどんな方法で対抗しても良い、と自己正当化するための免罪符として使われたもの。この場合もウェーバーと同じく軍だけではなく警察も含んでいると言われる。
この言葉を野党の人間が使うならともかく、与党の人間が使うのは最後の懸念に直結する。
ウェーバーの言を政治学の基本とし、それすら知らないのかと自民党を揶揄するもの。
ウェーバーは基本でも基礎でもなく先駆。だから使われた言葉が生き残ってるだけのもの。警察・軍組織のあり方が当時とは全く違ってきている現代ではその言葉をそのまま使い続けるのは間違っている。
●暴力という言葉の適当性
現代においては「暴力」の意味は国際的にほぼ統一的な見解が取られている。だから各種の条約内でもことさら「定義」されることなく使用されている。そこから読み取れるのは暴力は現代では基本的に「犯罪」に含まれるものとなっていること。
戦争も治安維持も「犯罪」と一意に解釈できる物ではないから、適当ではない。

で、ここからがネット上の意見でほとんど無かった点。
官房長官ってのは安全保障会議の一員(他には国家公安委員会岡崎トミ子委員長も…)であって、突発的な事態に際し、自衛隊の活動にGOを出したりする立場でもある。
その人間が自衛隊を「暴力装置でもある」って発言したことを諸外国はどう思うだろうか、という視点がほとんどない。平和憲法を否定するものだと激しく非難した議員がいたが、まさしく懸念すべきはこちらであろう。
さて、この言葉を引き出したのは「民間人でも自衛隊の施設内では、表現の自由は制限される」と明言したことへの質問。この言葉自体が言論の自由の否定であり、その本意について予算委員会で質問したら、平和憲法まで否定する発言を官房長官がした、という流れである。
与党の人間でありその閣僚(閣僚とは言うけど、実は国務大臣)が、自政権が非難されたら言論の自由を制限し、さらに警察・自衛隊を「暴力装置」と発言したことはウェーバーマルクスどちらの意味であれ、恐怖政治へ移行するという示唆にしか見えない。
どこからどう見ても戦前の日本の空気である
日本国内では仙谷官房長官がフロント出身で社会党出身でどんな人間かわかっていて、どれだけバカかもわかっているので暴言としてしか捉えられていないし、中国政府も韓国政府もそのあたりはわかっているから対外的な問題は起きないだろう。
しかし半端な知識で爆発するバカがいるのもまた特定アジア。それによる暴動で死者なんか出た日にはまた日本のせいと言い出すのが目に見える。
自衛官の皆様の士気・名誉も大事だし問題だが、こっちの方がはるかに大きな問題になる可能性もあるのだが、マスコミはどうやらそんなことは報道しないことにしたらしい。