国歌最高裁判決と内閣不信任案に見るマスコミ

マスコミの劣化は昔からだが、東日本大震災以降さらに加速して劣化が進んでいる気がする。
大震災では現地の状況が変わっていないにもかかわらず、原発が危なくなるとそちらばかりを報道し、他の被災地の現在を伝えるという仕事をほとんど放棄した。
情報の真贋を精査するどころか、それが正しいかどうか尋ねることすらせず、自らの足で情報を得ようとすることさえしなくなった。総理や官房長官や東電や原子力関係の記者会見での質問追求のヘタレっぷりはネット上のあらゆる場所で(政府やマスコミや他の政党は除いて)叩かれ、自分たちで情報を掴もうとしない姿勢は、芸能人からすら問題視された。
不信任案については「菅総理の資質問題」と「この時期に政局はいかがなものか」といった子供にもわかることを何度も何度も垂れ流すだけ。菅総理が指揮の頂点にいたためにどんな問題が起き、被災地にどんな影響が生じたのか、といった基本的なことも検証することすらなかった。検証と情報なくして、視聴者に何をどのように判断させようというのだろうか。
さらにはそんな情況下で、犯罪者が収監される(ホリエモン)ことを延々と報じ、さらには刑務所での生活のイロハなどという、普通の市民には何の役にも立たないことは伝えた。
ついでに言うとこの「ミヤネ屋」では裁判所の判決が出た事件であるにもかかわらず「何が犯罪になるかは解釈の仕方による」という素晴らしい言葉も飛び出した。どうやら裁判所の判断はこの番組にとっては意味を持たないものらしい。

さて、卒業式で国歌が流れるときに起立しなかった教師を処分し、再雇用しなかった事例で最高裁判決がでたという事については、見た限りでは「TVではどのニュースでも一切報じなかった」。もしかしたら報じた番組があったかもしれないが、ユッケでの食中毒はどこのニュースでも見れたことと比較するとあまりにも扱いに違いがある。
もちろんこの最高裁判決に影響される人間は卒業式で起立しないクソ教師と、そいつらを処分しなければならない教員委員会と自治体関係者くらいにしか価値がないものではある。
しかし国の有り様についての判決であり、さらには民主党の人間には国家について否定的な連中が大量にいることもまた考えなければならない。その意味では報道しないことそれ自体が異常だ。
政権与党に対してどれほどTVが「配慮」しているかを物語っている。
少なくとも読売と産経と朝日新聞と日経は記事や社説などでも取り上げた(朝日の社説には笑ったが)。TV報道の劣化はとんでもないレベルに達しているのだろう。

内閣不信任案の扱いについてはさらに劣化を見せつけている。何度でも書くが、TVは被災地が現在どのような状態にあり、どのような状態を続けてきたかについてはほとんど報道していない。報道したのは「こんな状態です」「今はこうなっています」だけ。過去と未来についてはほとんど無視。
被災地では健康被害が生じるような環境の悪化を、ほとんどボランティアの手だけを頼りに対処しなければならない状態になっている場所もある。食料の配給を今でも個人レベルで行っている場所はいくらでもある。
昨日も、地盤沈下した石巻では大潮によって大規模な水没が起こっていることを報じていた。そこで、船を曳いて弁当を配っている人を扱っていた。彼らのことをTVでは、被災地での助けあいの美しさのようにしか表現しなかった。
何を報じているのだろうか。地震から2ヶ月半以上が経過しているというのに、個人レベルでのボランティアに頼らないと食事すら配れない現状を放置している政府に怒りを感じないのだろうか。少なくとも私は感じたし、現地の人々は既に政府に頼ることを放棄してすらいる。そんな現状を伝えず、何が報道だろうか。そんな現状に疑問を持ち、政府の対応に疑問をもつことが報道の役目ではないのだろうか。
地震が発生したのは東北では冬に相当する3月11日だ。着ていたものは当然冬物。現在は梅雨、もうすぐ夏になる。これほど長い期間に渡り、政府は被災者を放置している。
さらには原発の問題。枝野官房長官地震後寝ずに語ったのはウソだらけだった。
さらには節電の問題。節電啓発担当大臣がいたはずなのだが、いつの間に解任されて大臣職は無くなったのだろうか。まったくメディアで見なくなったし情報の発信も届かなくなったのだが。
こんな状況が続いていることが、内閣不信任案の提出につながったのだ。
もちろん今回の内閣不信任案提出には政局にしようという自民・公明・民主の思惑もまた存在する。
しかし、内閣不信任案提出それ自体が生むであろう今後の展開に関する報道もしない。内閣不信任案が可決された場合の問題に対する報道もしない。内閣不信任案に賛成票を投じる政治家・政党に対して「可決された場合にどのような対応を取り、速やかな復興に対処するつもりか」といったことも質問しない。
TVは「政局」だの「この時期」だのと繰り返すだけ。これはどんな劣化だろうか。もはや菅総理と同程度の無脳集団に落ち果てたとしか言いようがない。

TV東京で地震後の特番を終え、通常放送に戻った最初の番組がアニメだったことに抗議した連中がいたらしいが、そんな瑣末なものよりもっと抗議すべきものが毎日タレ流されている。
くだらないと批判されるバラエティ番組でも、娯楽という存在理由はしっかり持っている。だが報道はすでに情報を伝えるという存在理由を放棄している。もはや有能な人材はネットに流れているのだろうか?TV局に残っているのは彼らが去ったあとの絞り滓だけなのだろうか。
それともそもそもTV局には有能な人材など存在していないのか。
今日が日テレの倫理違反番組について報じられた日であることを考えると後者なのだろう。

内閣不信任案と言えば、共産と社民は棄権するのだそうで。党として国政に携わらないと決めたのなら、永遠に参加しようとするな。

いまも「とくダネ!」で小倉智昭が内閣不信任案提出とそんな事態に至らせた政治家にに対して怒って見せているが、これは個人としては許される態度だ。
報道に関わる者がその責務を放棄してきたのに、今になって怒って見せるなんてのは意味が無い。それ以前にひどく偽善的と言うか、嘘くさいとしか言いようがない。