内閣不信任の流れを見て考える。

不信任に賛成した自民党公明党は政権を奪い返すことを目的とし、ついでに震災被害者を救おうとした。どの程度「ついで」なのかはわからないが、少なくとも計画的・具体的な策があったわけではないだろう。策があったならば国民にそれを提示していたはずだ。それに理があり実があれば半以上が反対することはない。
提示しなかったということは、策などなかった(好意的に見るならば「緊急事のマニュアルに従う」程度の策はあったのかも。一方、菅政権はマニュアルすら無視している)と考えるべきだろう。

社民党共産党は責任を取ることを回避した。と言うか、逃げた。逃げまくった。国民の信を問うことからも逃げた。こいつらが政権を担うことになったら、今の菅政権よりはるかに悪い状態になるのだと教えてくれた。
彼ら社民・共産の議員を国政の場に運んだのは支持者であるが、そもそも国政の場への道を作ったのは政党の者でもある。今回「国の一大事に自宅にこもって台風が通り過ぎるのをただ待つ」如くの態度を見せた国会議員の行動を非難しない同党の地方議員がいたならば、その真意をただすべきだろう。
お前たちは存在する価値があるのか、と。
私は無いと思っているが。まあ共産党は地方レベルだとそれなりの実績もあるんですけどね。さすがにもういらない。

民主党は、政権云々以前に一つの政党内で完結した争いを繰り広げた。鳩山と小沢の行動基準は国民の為になるかではなく、政党内での主導権を握れるかだけに絞られていた。
もしも少しでも国民の為を考えていたのであれば、即時退陣をあれだけ叫んでいた前日の勢いが簡単に消えるわけがない。
同様に簡単に消えてしまったのは鳩山・小沢の下についていたグループの構成員の賛成意見。
彼らが判断の拠り所としたのは、自分たちの目で見て頭で考えたことではなかった。まあこのあたりは自民とか他の党も何も変わらない。違いがないのだから、「グループ」とか言わずに自民党とかと同じく「派閥」で良いんじゃないかと思う。
小沢も鳩山も一度は賛成で派閥の連中をまとめたのだが、小沢は翌日に総理退陣が表明されると派閥の束縛を解いて「それぞれ勝手に判断しなさい」ってことにした。鳩山は総理の言葉に簡単に乗っかった。その結果どうなったか。前日には不信任案賛成でまとまっていた連中がほとんど一人残らず反対に転じた。
「それぞれ勝手に判断しなさい」ってのは、判断の自由を与えられたということではない。賛成票を投じたら党から追放とか党員資格停止とか処分が下るが、「そうなっても責任は取らないよ」と言っていることになる。派閥の領袖がそれぞれ下に付いている人間の後ろ盾にはならないと明言したも同然。
そうなった時、民主党の国会議員はどうするか。前日に話し合いを持った結果このような理由があるのだからこのように行動しよう、という結論となった不信任案賛成という結論。これに対して、ほぼすべての人間が真逆の行動をとったのだ。
総理の不信任というのは国家の一大事である。国の行く末にも関わる。
要するに民主党というのは菅直人を代表としたことが実に当然と言える、信念もなければ国家に対して国民に対して個々で責任をもつことすらしようとしない人間の集まりなのだ、ということを国民に晒した。

一方、不信任案が提出されようとしていた首相は提出以前に首相としての価値を明らかにした。衆院解散をちらつかせたのだ。
これは通常の不信任案提出では普通の戦術である。なにも非難される謂れのないことだ。だが、国がこの情勢にあるときに口にすることではない。
被災地の自治体では解散総選挙の実施は物理的に不可能なのだ。
不可能なことを口にする。これはどのようなことなのか。
このようなことをする場合、可能・不可能を見極める力がない事が考えられる。総理どころか議員である資格すらない。政治家・政治屋である以前に、正常な判断能力なしと言える。つまりは制限行為能力者(以前は禁治産者とも言った)と言えるのだから、公職選挙法11条の1に基づき、成年被後見人として選挙権及び被選挙権を有しないとみなして良いのではないだろうか
あるいは可能・不可能を判断するための情報・情勢を把握していなかった、とも考えられる。この場合は東日本の複数の自治体で選挙の実施が不可能であるという事態を把握していなかった、ということだ。千葉の浦安が統一地方選で実際に不可能だからと実施しなかったことも把握していなかったとも言える。つまりは統一地方選もきちんと把握していなかったとも言える。
まあそんな事例を出すまでもなく、今の日本において震災とその復興の責任者である人が、震災とその復興の現状を把握していないなんてのは論外だろう。
それどころか、解散をちらつかせたときは震災があったことすら忘れていたとも考えられる。
このように、私は、菅直人という政治家かつ人間は「解散」をちらつかせた瞬間に「終わった」と考えている。考えうる最悪の判断を下したのだ。このちらつかせは菅直人という存在が、何を考え、あるいは何を考えていないかを明確にした瞬間だった。
さらには早期辞任という「言葉」で不信任案に対抗するというのも非常に愚かな手だった。これは政党内では十分機能する言葉だったが、それ以外のほぼ全ての地球上では完全な悪手である。特に、現政権の言葉はせいぜい1年程度しか効力がないと明言したわけで、これは外交的には最悪だ。この言葉を喜んだのは中国韓国北朝鮮くらいだろう。
かてて加えて「早期辞任なんて言ってない」「早期辞任なんて言ってないなんて言ってない」となると、国内ですら最悪手だが、外交的にはさらにひどい。この早期辞任→言ってない、という一連の発言を外国の政府はどう思うか。簡単だ。菅総理の言葉はせいぜい1年どころか、半日も効力がないと見る。
どこまで終了フラグを立てれば気がすむのかという程の見事さだ。
死亡フラグで言えば「おれ、この戦争が終わったら故郷に帰って、告白して、結婚して、戦争中に生まれた子供の顔見て、両親との不仲を修復して、絶ってた食い物食べて、今の仕事から足洗って新しい仕事始めるんだ」と言いながらいかにも怪しい場所でセックス始めて、コナンと金田一少年と一緒に孤島に旅行にいくくらいフラグ立ててる感じ。

こうなると、日本の将来は非常に暗い。少なくとも政治という点では。
それなのにそこに住んでいる人間は世界的に見ても相当良い。被災地の人々、ボランティアに参加した人々を見ればそれがわかる。なんなんだ、この差は。6億円強奪もものすごい地道な捜査を続けて、結果を出した。この勤勉さと集団での行動の良さと秩序の良さと教育水準の高さとその他諸々が生みだしているのが現在の政治ってのが信じられない。
日本の場合、対立する別々の思想基盤を持った自己発展型の3つのAIの議論に従って国政を動かすのがいいのかもしれない。そんなことすら考えた。
しかし代表として愚者ばかり選ぶ国民に、愚かな選択をしないAIを作れるか、という命題が新たにつきつけられる。なかなかに行き詰ってしまう。
国民のモラルと同レベルどころか、その数十分の一でもいいレベルの資質を持った政治家を選ぶだけでいいはずなんだがなぁ。


追記:
RSSが届いたら、似たようなことがより明確に、より簡潔に、より的確に、より具体的に語られてました…orz
http://diamond.jp/articles/-/12568