マスメディアは何を報道しているのか

この間は横浜駅が豪雨に雹に雨水の流入に雨漏りに、とえらいことになったそうです。大都市の中心的交通の要所である横浜駅ですから、離れた地域でも一報くらいはあってしかるべきだと思うのですが、私が現在住んでいる地域ではテロップでの報道すらありませんでした。
報道されたのは夕方のニュースになってから。私は第一報をネットで知り、その時点で写真やそこにいた人たちの書き込みを見ていたのでニュースはほとんど意味がありませんでした。被害が始まったのは13〜14時台。ネットでそれらを見たのは15時台。17時台のニュースで見た頃には、一部で雨漏りが残っていた程度。
これだと、横浜に出かけようとしていた人に必要な情報なんか伝わってない。遅すぎ。

ここ数日のトピックとしてネットでは話題になったのに全くマスメディアで報道されなかったこととしては、尖閣の購入募金が一億円突破・二億円突破・三億円・四億円突破といったものすごい勢いのことや、韓国の貯蓄銀行が事実上の破綻に陥ったこと。
尖閣の話題は一時期マスメディアで相当やったわけですが、募金が集まるようになったら素晴らしいまでの清々しさで扱わなくなりました。さんざん批判的なコメントを垂れ流していたのにどうしたんでしょう。
これだけ募金が集まるということは、まず間違いなく購入に関しても都議会で通過することになると思われます。反対した人はそのリストがネットで流されることになるでしょうから(既に流れてますが)、次の選挙を楽しみにしてください、ってことです。
韓国の国としての経済はそこそこなのですが、国民経済はズタボロです。銀行の破綻はそれを端的に示していることなのですが、触れません。韓国の国債を購入するなんてアホとしか言いようがない発表があった直後の出来事なのに、触れません。
通常、国債の購入が決定したらその国の経済は上向きになるはずなのですが、その程度では韓国の国民経済に影響を与えることはできなかったということなのでしょう。

尖閣の時は「国の管轄に都民の税金を使うのはおかしい」とかマスメディアは報じましたが、だったら「銀行が破綻するような国の国債を買うのはおかしい」と報じるのが当たり前のはず。

さすがに無視できなくなって尖閣の寄付金は一部週刊誌などが報道し始めてきたようですが、ネット上で取り上げられてからの時間差は否めません。
しかも一日で一億近く増加する寄付金の勢いなので、週刊誌だと記事を書いて印刷して売られるまでの間に、記事内容が数億違っている可能性すらある。こういった事態に週刊誌という媒体は不向き。本来日刊の媒体が扱うべき話。
それこそ、TVにとって最適の話題であり、新聞紙にとってもそうなはず。しかし取り上げない。

即時性は完全にインターネットによって奪われ、信頼性(意見・論、ではなく事実・日時といったものに対する)も写真を使ったり複数人が同じ事を伝えたりといったことでインターネットであってもある程度確保されている状態で、話題の選択すらまともにできないのであれば、見る価値もない。視聴率がダダ下がりなのも、新聞の発行部数が減る一方なのも当然と言える。
ちなみに私の母は「スーパーのチラシ」のために地方紙と契約していたが、チラシはネットでも見れるので契約を打ち切りました。そうしたら冷蔵庫で野菜を保存する際の紙がなくて困っています。
新聞社さんは「何も印刷していない紙」を売り出すべきではないでしょうか。母と同じように困っている人は結構いるはず。商売のチャンスだと思います。今までの「チラシが折れ曲がったり濡れるのを防ぐための紙(ただし何やら意味のないことが印刷されている)」を売るより喜ばれるでしょう。

TVも番組の作成能力が極端に落ちている感じがします。特に収入が少ないキー局のBS系は一部素晴らしい番組もあるものの、ほとんど見る価値を見いだせません。特に報道・知識系は無駄がありすぎ。BS系が悪いというのも比較して、の話であって地上波が言いわけではなく、-100点か-50点かといったレベル。
一番無駄だと思うのが、17時台(厳密には16時台)から19時までやっている報道。18時になると17時にやっていた物を繰り返すというのはあまりにも無意味。
17時に終業した人が18時に帰宅してニュースを見る、という形態があることは理解できるのですが、だったら17時台からやる意味が無い。
日曜の15時台になると競馬とスポーツ(と言っても大抵ゴルフ)が横並びになるのも意味が無い。
漫画を原作に質の悪いドラマを作るのは、まあ8億6400万歩譲って良いことにもできますが(これはどちらかと言うとスポンサー側の問題も大きいので)、オリジナルで質の悪いドラマを作ったりしてるのは目も当てられない。
知識・情報系も構成が最初からクイズになっているものはともかく、情報をある程度連続で流しておいて「ここで問題です」と突然クイズになるのは視聴のテンポが乱されて実に不快。録画している場合だと確実にスキップして先に進みます。
映像を数本流し、次の1本の冒頭でストップ、「さてこの後どうなるでしょう?」などという形式は『さんまのからくりテレビ』で使われていましたが、あれはあの回答者とそれをいじるシステムがあって、かつ映像そのものがさほど意味があるものではないから成立していたものです。
このシステムに近いものを持ち込んでいる例は「和風総本家」。こちらはそれなりに成立している。テンポを乱すほどではないように感じる。もっとも、クイズ部分が無駄と感じるのは同じなのだが。やはり映像そのものに意味があると邪魔。
ともあれ、この手法を導入している製作者のほとんどは、システムを無視して形だけ持ってきてもダメだという判断ができていない。

判断力の低下はマスメディア共通の病となっている。それがもたらした信頼の低下はマスメディア離れではなく、マスメディア批判、マスメディア憎悪へと向かっている。
インターネットが十分な信頼性を持っているものではないことは一連のマーケティング操作で多く知られるところとなりました。それを報じたマスメディアは、そこから何も学んでいないのでしょうか。
既に、マスメディアがインターネット上の情報より信用されない時代になっています。娯楽としてのマスメディアも、多くが成立しないものになっています。
しかしこれは、あまりにも恥ずかしくはないでしょうか。日本のマスメディアを外国が見た時、外国人は「これが日本人が好む物なのか」と思うことになるからです。