オスプレイの配備反対は当然の権利

ではあるのですが、事故率が沖縄国立大学に墜落したCH-53Dより遙かに低いオスプレイの配備に反対するのはどう考えても異常。
CH-53Dの事故率は4.15。オスプレイMV-22は1.93。MV-22は半分以下の事故率ですね。
オスプレイの配備に反対している人は(今日の時点で山口の連合も反対だとか)オスプレイが配備されないせいでCH-53Dがそのまま使われた場合の事故の責任をとれるのでしょうか。
事故の責任とは、どこかに墜落して民家を破壊したり、日本人を死傷させたりといったことにとどまりません。その機体に乗っていた米国人の死傷にも及びます。
同盟国の軍人を事故率が高い機体に乗せるよう強要し、より事故率が低い機体の導入に反対するなんてのは人非人のやりようでしかありません。人間の所業ではない。殺人鬼の、殺人悦楽症のやり口です。人が死ぬのが嬉しくてしょうがない人達としか言えません。

マスメディアのほとんども異常です。オスプレイを説明するときに「ウィドウ・メイカー」という表現を使うのが珍しくありません。F-104もそう言われましたし、ハリアーAV-8Bもそう言われました。
で、F-104は世界各地で長期に渡って活用され、スペイン空軍では17,000時間以上運用されたのに事故なし。ハリアーIIにしても800機以上生産されてるほど信頼(まあ兵器としてだけど)されている。
開発段階で事故が多発するのは珍しくないのですが、オスプレイの開発段階での重大な事故は2つだけ。だから英語版でもドイツ語版でもイタリア語版でも中国語版でも日本語版でもウィドウ・メイカーでWikiを見ても、そこにオスプレイは含まれていません。
そりゃそうでしょう。たった2件の重大事故なんてのは新思想機体の開発ではありえないレベルの事故の無さと言えるんですから。
F-104はそれこそアメリカ初のマッハ2クラスの開発で事故も多かったし、採用後も単発ジェットの問題で事故も多かったからウィドウ・メイカーと呼ばれるのも仕方がないのですが。いえ、私F-104は大好物なんですけどね。
フライトシミュレータですがピーキーとも言える加速、高速度での操作性の無さ(旋回性能が低い上、直進性がとんでもなく高い)、同じく高速度での機銃での敵機撃墜の無理さ加減とか。これを御する快感があるわけです。F-2なんて、あまりに御しやすくて楽しくないですよ。そんな機体がF-104。空気抵抗削りまくったせいで、もしもエアブレーキが故障したら着陸が究極レベルに困難になる機体。こういうのをウィドウ・メイカーと呼ぶのです。
オートローテーションができずとも、プロペラ(ローター)が着陸時に接地しようとも、滑空で着陸が可能なオスプレイはF-104に比べたらとんでもなく安全。実際に事故率が低くて安全だし。

とにかく一番問題だと思うのは、事故率が低い機体を「危険だ」「墜落するのが当たり前(沖縄の人が実際にTVでこう言ってた)」などと情緒的かつ脊髄反射レベルの適当さで断罪して、より危険な機体について考慮していない点。さらにはその危険によって人命が失われる確率を上げてるのに「オスプレイ配備に反対するのは当然のこと」なんて考えてるキチガイがいること。
人命尊重の立場を堅持するならば、オスプレイ導入は当然の流れのはずなんですが。
ああ、サヨクってのは歴史的に情報弱者なんですね。現実は見えないし不都合は無視するし数字は適当に扱うし(官邸前の原発反対デモの人数なんてのは最近の典型例)。
私としては米軍軍人の命の重さだって沖縄とか山口の民間人と同じかそれ以上(私の中ではサヨクの命の重さは普通の人の半分以下。ラーの天秤で量ったら相当軽いでしょうなw)なので、危険な機体に乗せられる恐怖とか考えたらとてもじゃないけど強要なんてできません。

昨今はいじめられて自殺した子供に同情が集まり、加害者とそいつらを放置していた教師・学校・教育委員会に怒りが向けられてますが、どうしてそれ半分程度の正義をオスプレイには向けられないんでしょうか。
オスプレイ配備に反対してる人達は、いじめの加害者とそいつらを放置していた教師・学校・教育委員会と同レベルに罪があると思いますよ。本気で。
人を殺すように、死ぬように仕向けてそれを自分の中で正当化しているんですから。