匿名社会という嘘

籔内教授は、せんとくんが公式キャラとして発表されてから、誹謗(ひぼう)中傷の匿名メールや手紙などがきたことに触れ、「本当にびっくりした。匿名で人を攻撃する現在の社会の病を感じた」と吐露。
http://www.asahi.com/national/update/1116/OSK200811160047.html

このせんとくん騒動にはいくつもの要因が絡んでいる。

  1. 不透明な選定基準。
  2. 見た目が気持ち悪い。
  3. 童子」という主張。
  4. 着ぐるみで人気になった。
  5. 行政・協会の対応のまずさ
  6. 仏教的観点。
  7. マスコット的観点。
まずは「せんとくん」に対する私の見解から。あれは仏様です。根拠はこれ。
http://www.uwamuki.com/j/newsJ.html.data/1.1jan/new_bronze/basara/basara.html
はい、童子と主張されている物に仏法守護十二神将の格好をさせて「伐折羅童子」と書かれていますね。
だとすれば白毫(びゃくごう)に衲衣(のうえ)に条帛(じょうはく)を付ければ当然仏様もしくは仏様のコスプレをした童子になるわけです。それに鹿の角を付けているわけですから、仏教界の一部からでも抗議の声が上がるのは納得できます。
私は仏教徒ではないので(死んだ時もお寺のお世話にはなりません。でもキリストでもユダヤでもイスラムでもないです)仏教界が抱くような強い感情は起きませんでしたが、「不謹慎だなぁ」とは思いました。
「これは仏様ではない、私が以前から制作している童子だ」と教授が主張したことも問題でした。
童子像に白毫様のものを付けている時点で既に仏教もしくはヒンズーの意匠を借りているのであって、宗教色の払底は不可能です。
行政や協会や仏教界やらがぶつかり合っている間に着ぐるみが作られましたが、その表面素材はなぜか毛で覆われていました。「ぬる坊©テリー伊藤」の印象を切り払ったわけです。あのデザイン画からあの着ぐるみを作った手腕は賞賛に値します。悪い意味で。
Yahoo!が行ったネットアンケートではせんとくんが圧倒的に支持されていましたが、ネットアンケートは全く信用できません。信用するなら楽天ゴールデンイーグルスの名称は「楽天ギャラクシーエンジェルス」になっていたはずです。
もしかしたら物凄い幸運だけで優勝する無敵チームになっていたかも知れませんね。

さて、『誹謗(ひぼう)中傷の匿名メールや手紙などがきたことに触れ、「本当にびっくりした。匿名で人を攻撃する現在の社会の病を感じた」』。最近のネット攻撃の常套手段、匿名の登場です。ちなみにこの発言は興福寺で開催中の国宝特別公開の講演での発言ですが、この特別公開はというと、同寺、朝日新聞社朝日放送主催だそうです。
匿名に敏感なマスコミが関わっているわけですね。

ところで、ネットを常用している人たちである程度知識がある人なら「匿名メール」なる適当な用語がどれほど適当な定義かは分かっているだろう。
簡単に言うと、「匿名である証拠も根拠もないメール」のことである。

実際に匿名性が高いメールも送信できるが、海外のISPを使ったり他人のマシンを踏み台にしたりとハードルが高い。前者は追跡が困難ではあるが「不可能」ではなく、後者は踏み台にする方法にもよるが犯罪となる場合がある。
国内の場合2008年の改正特定電子メール法と2005年の改正特定メール法によってメールの送信はほぼ特定される。
今ではサーバの数も法律も増え、追跡は容易になった部分と困難になった部分があるが犯罪性や国の特殊性など特殊なケースを除けば追跡はほぼ確実に出来る。

実は手紙の方がはるかに匿名性が高い。追跡手段は警察の鑑識的手法を除けば「消印」しかない。ポストに投函しているところを監視カメラに撮られることさえ避ければまず個人が特定されることはない(ポストからの回収時間が頻繁なポストは監視カメラの時間と照らし合わせることで人数を絞り込める)。
とある方法を使うことで消印の時間を遅延させたりすることも可能だが、これは万全ではないし犯罪に使われる可能性もあるので自粛。

会社や個人を脅迫するとして、メールと手紙とどちらを使った方が捕まる可能性が低いかを考えれば間違いなく手紙なのである。
これは朝日新聞社などを襲撃した赤報隊事件を考えてもらえば理解が早い。この事件では郵送された手紙がどこのメーカーのどのワープロで作成されたか(各社でワープロを作っていた時代は字体などで判別できた)まで特定されているし使用された弾丸も特定されているが、犯人は捕まっていない。
メールや携帯は実に唯一性が高いものなので、これらを使った凶悪犯罪はほぼ間違いなく逮捕に結びついている。これに対して手紙を使った犯罪はいくつも迷宮入りしている。

匿名社会は手紙の使用頻度が低くなるにしたがって失われていくと言っても良いだろう。
逆に、個人に辿り着く方法は増大の一途をたどっている。個人のホームページにメールアドレスが載り、他に掲示板やブログという方法でそれまで見知らぬ他人から「手紙」が届くこともなく声も届かなかった事情が一変している。

さて、『匿名で人を攻撃する現在の社会の病を感じた』だがこれは本当に「現在の社会の病」だろうか?
これもちょっと考えてみれば分かることである。
昔も手紙や電話で抗議されて罵倒されたとか死ねと書かれた手紙を受け取った、といった話は芸能人や小説家やTV局を中心にしばしば聞かれたものである。警察が失態を見せればやはり同様の非難が浴びせかけられた。
手紙の匿名性については先に語ったが、昔の電話にはナンバーディスプレイなどという機能はなく、誰からかかってきたかを知る術はなかった。逆探知によって相手を知ることが出来たが、接続はリアルタイムのみでログが残されるわけでもなかった。電話も非常に匿名性が高かったのである。
手紙に返信先が書いてあったとして、それを実際に調べたなどという話はほとんど聞かなかった。稀に美談として送り先に謝罪したという番組が流されたが、あれとて番組を作る意図がなければ返信先を調べることなどなかっただろう。

つまりこれらを「現在の社会の病」などと考えるのは間違いである。匿名で人を攻撃することは珍しくも何ともなかった(古いものとしては「この頃都に流行るもの」で始まる「二条河原の落書」でしょうか(笑 )。

問題は先に挙げた、個人に辿り着く方法の増大なのだ。これは今年発表された、日本学術会議の『電子社会における匿名性と可視性・追跡可能性―その対立とバランス―』
http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-20-h60-2.pdfにおいても指摘されている。

個人情報のネットワークシステムへの蓄積と、ネットワークの追跡技術の著しい進展に伴い、個人情報に対する追跡可能性と捕捉可能性は著しく高まっている。その結果、人々は、プライバシーの曝露の危険性と、私的領域への侵入の危険性、そして欺罔行為に遭う危険性にさらされている。
この「私的領域への侵入の危険性」こそが、マスメディアとこの教授が言う「現代の社会の病」の正体であり、本体である。
有名税」が普通の個人にも及んだ状態とみなすことも出来る。

自分の情報を積極的に公開してそこに主張や意見の対立によって抗議が来たらそれを「現代の社会の病」などと言い、それを書く蒙昧さは、自らが作り出した作品や記事の価値や信頼性を損ねるだけであろう。

とは言え、正当な抗議であれば住所氏名くらいは書き、メールアドレスも普通使用しているものを使うべきだろう。
私はそうすることで某県の教育委員会や某日本宇宙少年団から丁寧かつ納得できる返信を戴きました。